2009年04月03日

小国沢城址へ登る

P4030003.JPGP4030011.JPGP4030008.JPG
登り階段で高橋先生   記念碑を立てる位置は  小国盆地が一望の下


P4030017.JPG  小国城の要害(戦時に立てこもる山城)である小国沢城此に記念碑を建てるための調査に、小国よってがん会のメンバーや石碑を建てる業者さんたちと登り、設置位置を確認しました。
 五年ぶりくらいの登山です。
通称小松山の頂上は本当に360度の視界が広がる絶景ポイントです。
 小国を治めた小国氏の見張り城としては小国の谷を見張る上で一番の城だったと思います。戦国時代に小国の各地に築かれた山城がほとんど見え狼煙での連絡の結節点でもありました。
 連休にはここに「小国沢城此」の石碑を立て、天地人の中で紹介してもらおうとがんばっています。

posted by 細井良雄 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
突然で失礼いたします。
清和源氏・小国氏一族がここ小国保に入封した当時の小国町は越後の中でどの様な位置にあったのでしょうか?
Posted by 丸山 博 at 2013年03月23日 21:02
源頼政を兄とする源頼行が小国氏の始祖て゜1133年に国衙領であった小国の地を領地します。その後弥彦や五十嵐の郷(下田)そして旧上川村の地域
も収める当時の新潟では大きな勢力となっており
その後、大中川。小中川(燕市)にも子孫が支配を広めています。
Posted by 細井よしお at 2013年03月25日 15:58
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